近畿大学通信で司書資格を取得した記録

近畿大学の通信課程で図書館司書資格を取得しました(2018年度)

図書・図書館史 科目終末テスト(回答例)Q16~Q20

※設問の後ろのページ数は2018年度版テキストでの回答に使った参考ページです

※テスト課題は添削されていないので不正解の可能性もあります。あくまでも回答例です

※自分の勉強用にまとめただけのものなので誤字脱字あります 

 

<設問>

 

Q16. 図書館史を学んで、よかったと思われる点を述べてください。

 図書館史を学んだことにより、今日、我々が日本で当たり前に受けられる図書館サービスは、先覚者たちの努力や工夫の結果であることが実感できた。

 近世、江戸時代の封建制度が崩壊し、明治維新の近代化を目指す大改革の中で、日本は欧米に使節を送り、近代事情を日本へ導入した。その中で、1861年に遣欧使節の一員として海外訪問した福沢諭吉は、1869年に出版した『西洋事情』の中で、欧米の図書館を「ビブリオテーキ」として言及し、西洋の図書館や納本制度を始めて日本に紹介した。また、市川清流も同じ遣欧使節随行し、日本にも図書館を作るべきだという書籍院建設の建白書を文部大輔に上申した。

 ほかにも、文部大輔の田中不二麻呂は、1871年岩倉具視の欧米視察に随行して各国の図書館を視察し、『特命全権大使米欧回覧実記』の中で報告し、文部省年報に「公立書籍館の設置を要す」という論文を発表して啓もう活動を行った。

 1892年には、「図書館に関する学術修行」として1年半にわたる米英留学の後、東京図書館長、のち初代の帝国図書館長として活躍した田中稲城などにより、日本文庫協会が発足した。日本文庫協会は、1908年に日本図書館協会に改称し、現在に至っている。

 1945年の終戦により、日本の図書館はアメリカの指導の下に再出発し、1948年に「国立国会図書館法」が制定され、アメリカ議会図書館を手本として、納本制度の実施や日本全国書誌など各種書士の作成、国会議員への調査・研究支援、一般国民へのサービス、対図書館サービス、図書館協力などが国会図書館の任務として規定された。1950年には「図書館法」が制定され、公共図書館の設置及び運営に関しての事項を定め、司書の職務規定や資格、図書館奉仕など新しい図書館の在り方を示すものとして注目された。

 しかし、一般市民の現実生活は以前厳しく、理想的図書館とはかけ離れたままであった。

 このような図書館の貧しさを憂えた図書館員たちにより、『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート)が1963年に発表され、図書館は転換期を迎えた。1970年には、中小レポートの理念を基にした実践編として日本図書館協会が『市民の図書館』を刊行して資料提供を第一の原則とするなど、今日の貸し出しサービスが当たり前の現状を作った。

 1954年には、全国図書館大会において、「図書館の自由に関する宣言」が採択された。1979年に改訂版が承認されたこの宣言は、図書館の使命は市民の知る権利・自由を保障していく機関であることを示している。ここでは、図書館は、①資料収集の自由、②資料提供の自由、③利用者の秘密の厳守、④検閲に反対を確認し、これらの図書館の自由が侵害されるときは図書館は団結して自由を守ることがうたわれている。

 また、1980年には日本図書館協会総会が「図書館人の倫理綱領」を決議、自由宣言と表裏一体にある、図書館員の「利用者を差別しない」「秘密を洩らさない」など自主的規範として掲げた。

 2001年には、文部科学省が「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」を告示して、レファレンスサービスの充実など情報サービスに関する援助を挙げた。

 図書館の発展は、社会の発展と密接に結びついている。かつては一部の特権階級向けのであった図書館は、今やだれでも無料で使える知的自由の要である公共図書館として発展している。また、粘土板から始まった図書館資料も、現在はデジタル化が急速に進んでおり、物体を伴わない電子資料の提供が不可欠になっている。

 このように、今日の図書館サービスがあるのは、先人たちの努力や工夫によるものなのである。

 

 

Q17. 日本の図書館史に登場した人物を何人か挙げて、彼らの業績を述べてください。⇒Q14と同じ

 

 

Q18. 図書館史を学んで感じたことを自由に述べてください。

 図書館史を学んだことにより、今日、我々が日本で当たり前に受けられる図書館サービスは、先覚者たちの努力や工夫の結果であることが実感できた。

 近世、江戸時代の封建制度が崩壊し、明治維新の近代化を目指す大改革の中で、日本は欧米に使節を送り、近代事情を日本へ導入した。その中で、1861年に遣欧使節の一員として海外訪問した福沢諭吉は、1869年に出版した『西洋事情』の中で、欧米の図書館を「ビブリオテーキ」として言及し、西洋の図書館や納本制度を始めて日本に紹介した。また、市川清流も同じ遣欧使節随行し、日本にも図書館を作るべきだという書籍院建設の建白書を文部大輔に上申した。

 ほかにも、文部大輔の田中不二麻呂は、1871年岩倉具視の欧米視察に随行して各国の図書館を視察し、『特命全権大使米欧回覧実記』の中で報告し、文部省年報に「公立書籍館の設置を要す」という論文を発表して啓もう活動を行った。

 1892年には、「図書館に関する学術修行」として1年半にわたる米英留学の後、東京図書館長、のち初代の帝国図書館長として活躍した田中稲城などにより、日本文庫協会が発足した。日本文庫協会は、1908年に日本図書館協会に改称し、現在に至っている。

 1945年の終戦により、日本の図書館はアメリカの指導の下に再出発し、1948年に「国立国会図書館法」が制定され、アメリカ議会図書館を手本として、納本制度の実施や日本全国書誌など各種書士の作成、国会議員への調査・研究支援、一般国民へのサービス、対図書館サービス、図書館協力などが国会図書館の任務として規定された。1950年には「図書館法」が制定され、公共図書館の設置及び運営に関しての事項を定め、司書の職務規定や資格、図書館奉仕など新しい図書館の在り方を示すものとして注目された。

 しかし、一般市民の現実生活は以前厳しく、理想的図書館とはかけ離れたままであった。

 このような図書館の貧しさを憂えた図書館員たちにより、『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート)が1963年に発表され、図書館は転換期を迎えた。1970年には、中小レポートの理念を基にした実践編として日本図書館協会が『市民の図書館』を刊行して資料提供を第一の原則とするなど、今日の貸し出しサービスが当たり前の現状を作った。

 1954年には、全国図書館大会において、「図書館の自由に関する宣言」が採択された。1979年に改訂版が承認されたこの宣言は、図書館の使命は市民の知る権利・自由を保障していく機関であることを示している。ここでは、図書館は、①資料収集の自由、②資料提供の自由、③利用者の秘密の厳守、④検閲に反対を確認し、これらの図書館の自由が侵害されるときは図書館は団結して自由を守ることがうたわれている。

 また、1980年には日本図書館協会総会が「図書館人の倫理綱領」を決議、自由宣言と表裏一体にある、図書館員の「利用者を差別しない」「秘密を洩らさない」など自主的規範として掲げた。

 2001年には、文部科学省が「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」を告示して、レファレンスサービの充実など情報サービスに関する援助を挙げた。

 図書館の発展は、社会の発展と密接に結びついている。かつては一部の特権階級向けのであった図書館は、今やだれでも無料で使える知的自由の要である公共図書館として発展している。また、粘土板から始まった図書館資料も、現在はデジタル化が急速に進んでおり、物体を伴わない電子資料の提供が不可欠になっている。

 これまでの図書館は、物理的資料を提供する場としての機能が主であった。しかし、これからの図書館は、従来の資料やその提供にとらわれず、あらゆる情報資源を収集・提供できる場として、社会に合わせたより一層柔軟な変化と取り組みが求められるだろう。

 

 

Q19. さまざまな記録媒体と図書館との関係について述べてください。

 図書館の歴史は、古代から記録媒体の発展とも密接に結びついている。

 初期の書写材料は木や粘土、石であった。紀元前7世紀頃にアッシリア王がニネヴェに建設した図書館は、楔形文字で書かれた粘土版を収集し、主題別に分類していた。粘土板はかさばるという難点がある一方、半永久的に保存できること、どこでも手に入るという利点があった。

 しかし、粘土版は持ち運びに不都合であったため、紀元前2500年頃にはナイル河畔のパピルスを加工したパピルス紙が使われるようになっていた。折れやすいために巻いたために、パピルスの書物は表面のみ使う巻物形態をとった。紀元前3世紀には、プトレマイオス1世がパピルスを収集するアレクサンドリア図書館を創設し、総合目録「ピナケス」も作られた。

 同時代には、活版印刷術と紙の出現まで一般的に使われていた羊皮紙を使ったペルガモンの図書館もあった。羊皮紙は、ヒツジなどの川に特殊加工を施したもので、パピルスに比べて堅く、なめらかで保存がきき、文字収容力が大きいなど利点があったため、書写材料として盛んに用いられ、8世紀初めにはパピルスを圧倒した。初期の羊皮紙は巻物形態だったが、中世キリスト教徒の手によって次第に冊子体に移行され、今日の図書の形態になった。しかし、羊皮紙は非常に高価なものだったため、中世の修道院図書館では、貸出しには担保が必要だったり、鎖付き本が用いられたりしていた。

 1450年頃にグーテンベルク活版印刷術を発明すると、図書が大量かつ安価に生産され、一気に普及したことにより、貸出しや公開が促進され、近代図書館の芽生えにつながった。 また、1517年の宗教改革は、活版印刷術によってルターの論文が急速に広がったことも要因であった。宗教戦争で破壊された修道院図書館の資料が、権力者などに収集され、公共図書館大学図書館の蔵書になったことや、布教を目的とした新しい教会図書館が設立されたことによって、図書館の一般利用が促進されるようになった。

 現在は、情報化社会と呼ばれ、日本でも2000年に国立情報学研究所が設置されるなど、図書館資料の紙媒体から電子媒体への移行が進んでいる。大学図書館においては、電子化された論文等をインターネット上で無料で発信する「機関リポジトリ」が整備されるなど、図書館は記録媒体の発展とともに、さらなる進化を遂げている最中なのである。

 

 

Q20. 戦後の図書館改革に述べてください。⇒p.55

 1945年の終戦により、日本の図書館はアメリカの指導の下に再出発した。アメリカ教育使節団が2度により日本の教育民主化政策を推進するために来日し、その結果が『米国教育使節団報告書』として報告されたが、日本の図書館が有料制であることや児童図書が不足していること、図書館の相互協力が不足していることを批判し、開かれた図書館を目指すべきとして図書館改革構想を提言した。

 1948年に「国立国会図書館法」が制定され、アメリカ議会図書館を手本として、納本制度の実施や日本全国書誌など各種書士の作成、国会議員への調査・研究支援、一般国民へのサービス、対図書館サービス、図書館協力などが国会図書館の任務として規定された。

 1950年には「図書館法」が制定され、公共図書館の設置及び運営に関しての事項を定め、司書の職務規定や資格、図書館奉仕など新しい図書館の在り方を示すものとして注目された。

 また1953年には「学校図書館法」が制定され、学校図書館の設置を義務付け、また司書教諭の制度を不十分ながらも確立した。

 しかし、一般市民の現実生活は以前厳しく、理想的図書館とはかけ離れたままであった。

 このような図書館の貧しさを憂えた図書館員たちにより、『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート)が1963年に発表され、図書館は転換期を迎えた。

中小レポートでは、図書館の役割は民主主義の基礎をなす知的自由の保障であるという認識のもと、①図書を気軽に館外貸し出しする、②徹底して児童サービスする、③図書館を身近に置くために全域へのサービス網を張り巡らすという3点を重点目標とした。その結果、次第に全国各地に新しい図書館や分館が誕生し、家庭文庫や地域文庫、子ども文庫が育成され始めた。

 1970年には、中小レポートの理念を基にした実践編として日本図書館協会が『市民の図書館』を刊行して資料提供を第一の原則とするなど、今日の貸し出しサービスが当たり前の現状を作った。

 1954年には、全国図書館大会において、「図書館の自由に関する宣言」が採択された。1979年に改訂版が承認されたこの宣言は、図書館の使命は市民の知る権利・自由を保障していく機関であることを示している。ここでは、図書館は、①資料収集の自由、②資料提供の自由、③利用者の秘密の厳守、④検閲に反対を確認し、これらの図書館の自由が侵害されるときは図書館は団結して自由を守ることがうたわれている。

 また、1980年には日本図書館協会総会が「図書館人の倫理綱領」を決議、自由宣言と表裏一体にある、図書館員の「利用者を差別しない」「秘密を洩らさない」など自主的規範として掲げた。

 2001年には、文部科学省が「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」を告示して、レファレンスサービスの充実など情報サービスに関する援助を挙げた。

 このように、今日の日本の図書館サービスがあるのは、先人たちの努力や工夫によるものなのである。